慣れという恐怖
(※以下、またしても駄文。思っていることをだらだら書きなぐっただけなので、読む価値はほぼ無いと思います。)
地震から、もうすぐ3週間が経つ。
最初の一週間は、まずは津波の被害、そしてすぐ後に原発の問題が次々明らかになり、ニュースから目が話せなかった。
とても長い一週間だった。
しかし、次の一週間はかなりあっという間に過ぎた。
最初の一週間に止まっていた仕事やら何やらが溜まって、その処理に追われていたというのもある。
そしてこの一週間は、さらに早く過ぎたように感じた。
…この間、原発の状況は改善するどころか、悪化の一方である。
大規模な放射能汚染の「恐れ」が明確になるより先に、既に汚染が広がってしまっている。
既に、誰も経験したこともない、「想定」すらした事のない事態が進んでいる。
野菜の汚染しかり。
海水の汚染しかり。
海洋の汚染は、この後どうなるのだろうか。
薄まるから大丈夫、などと言っているのはどこの誰だ。
生体濃縮、という問題は無いのか?
・・・そもそも、基準値の4385倍、などという数値が出ているのだ。
これで問題ないというなら、この基準値は何のために作られたものなのだろう。
これまで、放射性物質を扱う人は、非常に厳密に、基準値の「1倍」を超えることが無いよう、最新の注意を払って管理してきたはずなのだ。
暫定基準値だが、これ自体、今回の件以降で大幅に緩和されたらしい。
事故が起きてから基準値を引き下げて、「基準値より低いから安心」というのは根本的におかしいと思うのだが。
炉心を冷やすため、少なくとも数ヶ月は今のような状態が継続し、その後も年単位、少なくとも十年単位の年月をかけて、管理し続けていかなくてはならない。
・・・一体どうするべきなのか途方にくれる。
このようなものが原発である、と、正しい知識が浸透していたなら、原発の建設など、まさしく不可能であったに違いない。
かなり昔から危惧していたものの、具体的な行動に出ていなかったことに激しく後悔している。もっと、出来ることはあったかも知れない。
そして。
恐ろしいことに、この状況に慣れてきてしまっている、ということに気がついてきた。
現在の状況は、日本中が緊急事態のようなもの。それどころか、世界中にも迷惑をかけている状態である。
…にも関わらず。
慣れてきている。この状況に。
本来は、もっと危機感を持って、原発の動向には注視していくべきだ。
だけれど、そんなに長い時間、緊張に耐えられるように人間は出来ていないらしい。
コレは、数十年続くことである。
少し福島から離れている人たちが、関心を失って、どうせ関係ないや、とか、実際大丈夫だし、とか、安易に考えるようになっていくのではないかと心配だ。影響は、若い人、次の世代に、確実に残っていくはずだ。ただ、確かに「直ちに」影響はないかも知れないだけであって。
全原発即時廃止・・・せめて、その方向に、しっかりと世論が動いていくことを祈っている。
このまま行くと、ある程度緩やかに、しかし確実に日本が滅びていくのではないかと本気で心配だ。
食品の問題は切実。
福島で、放射能に汚染された状態になってしまっているご遺体が、多数残っているとのこと。
そして、汚染レベルが高すぎて、火葬も土葬も出来るような状態でないという。
…何も言えない。
父が災害復旧関連の仕事で、数日だけだが、岩手県へ赴いていた。
今日、無事帰ったとのことだ。メールをくれた。
最初の地域では、各地からの支援者が雑魚寝状態のところに泊まり、その次の地では一応民宿に寝泊まりできたとのこと。
最後に、「被災地はどこも本当に悲惨です・・」と書いてあった。
テレビやネットでは、あまりリアルな被災地の様子が見えてこない。
というか、最近は報道すら少なくなっている。
既に、過去に起きた災害、こことは関係の無い、離れた地が「大変なんだねえ」という感覚になりつつあるのではないか。
いいのかこれで。
今のところ、比較的安全なところに幸い住んでいて、直接的な被害はうけていないから、今まで通り普通に仕事して、普通に生活して・・・なんてやっていて本当にいいのだろうか。
原発の状態を見るにつれ、また仕事も手に付かなくなってきている。
これは自分だけか?
そんなコトしてる場合ではない、ちゃんと今まで通りに仕事するべき、なのだろうか。
周りが呑気すぎるように見えてならない。
もちろん、ひとりで危機感を持って、ニュースばかり見ていても、何も事態は良くはならないことは分かっている。
それにしても、無関心すぎるのではないか、もっと関心持つべきで、今後について今のうちに、議論しておくべきなのではないかと思ってしまう私は、心配しすぎなのだろうか。
中部大学の武田邦彦教授のページはとても参考になる。
http://takedanet.com/