「安全・安心な東京五輪」が絶対に不可能な、大変シンプルな理由

珍しく、煽り気味のタイトルです。

 

端的に、「安全・安心な東京五輪」が絶対に不可能な理由を書きます。
仮に「安全」が可能だったとしても、「安心」は既に無理なことが明らかだからです。

 

例えば

mainichi.jp

世論調査結果を聞くだけで、絶対に不可能と言えますよね、、、。

 

 5月22日の前回調査で「無観客で開催すべきだ」は13%だった。「中止すべきだ」は30%で前回(40%)より10ポイント減少し、「再び延期すべきだ」は12%で前回(23%)より11ポイント下がった。「中止」と「再延期」を合わせて4割超となった。「わからない」は5%(前回3%)だった。

 

細かい数値はこの際どうでも良くて、“「中止」と「再延期」を合わせて4割超となった。”という事実だけで、「安心」できない人が誤差範囲とか例外ではなくて、確実にそれなりの数で存在しているということになります。

 

「安全」は科学的に担保可能(例えば見積もったリスクの範囲内で安全である、というような事を示すことは可能)ですが、「安心」は人々の“気持ち”ですから、これはこの先どんなに施策を打っても、ほぼすべての人が「安心」という状況には、どう考えても持っていけないでしょう。。。

 

「安全・安心」とセットでよく言われるのは、科学的に「安全」であっても、それだけでは受け入れられない(安心できない)ことが実際には良くあるから、だと思います。

・・・反面、科学的に「安全」では全く無くても、なぜか(?)「安心」だということも、往々にしてありますよね。(これは本当はあまりよろしくない…けど、それで世の中回っているところもあるので、クリティカルな事柄でなければ許容できると思います。)

 

現在のコロナのような深刻な局面では、大前提として「安全」であることが担保された上で、「安心」できるような説明が必要な性質のものだと考えます。

 

 

(※個人的には東京オリンピックを「復興五輪」と呼んで誘致したこと、主導権を持って開催可否を決定できないこと、なぜこの状況で無理矢理開催する必要があるのかが明確に示されていないこと(なのに誰も中止の判断を下したくないのか、ダラダラと聖火リレーが開始され、無観客が決定され、、この後どうすんだろ?)、・・・などから、当初から、また最近はますます反対の立場でした。「復興途上だし、そんなことやってる場合ではない」(原発どうすんの?→オリンピック関係で土木業のリソースが持っていかれたりの弊害も)、「少しでも傷が小さいうちに、誰か中止の決定ができないの?」「そもそも選手は本当に参加したいのか?(誰のための大会?)」という気持ちで、本当にもう、、、)

 

 

・・・で、案の定、4度目の緊急事態宣言が出されましたが、効果があるのかかなり疑問です。かといって、他にやりようがないし、、、、というところまで来てしまっているのではないでしょうか?

特に五輪のゴタゴタについては、予め「こういう状況なら、こういう条件で開催する」「こういう状況だったら、中止する」みたいなことを決めておくべきだと思うのです。振り回されまくっている方々が、気の毒でなりません・・・。