母校の閉校式

とうとうその日が来てしまいました。
6年間通っていた小学校が、今年度で閉校してしまいます。
その閉校式があるということで、実は仕事のある日だったのですが、休みをとって、参加することにしました。

私にとって、小学校は本当に思い出深いものでした。
中学〜大学とはちょっと別格の思い入れがあります。
多分、今の自分の根本は、このころに形成・確立されて今に至っているんだと思います。
この小学校に通っていた小学生時代がなかったら、今の自分はなかったんじゃないかと思うし、この小学校に通うことができて本当に良かったと、素直に思っています。

地元から離れた大学に通っていたときにも、友人と学校の話になると、積極的に自分の小学校の
話をしていました。
Google mapが出てきたころは、田舎なのもあって解像度が悪くて見えなかったものが、いつのまにか高解像度の画像に変わったことを知ってからは、実際に見せたりしながら、半ば自慢するかのように、いろんな人に説明してきました。

今考えてみると、学校の敷地は全国的に見ても大変広く、豊かな自然に囲まれている、とてもいい環境でした。


低学年のころは、校庭にたくさんの野ウサギの糞が転がっていました。
実際に、近くの山でウサギを見たこともあります。
しかし、いつの間にか、ほとんどなくなりました。狐が出るようになったらしい、と聞いたのはその後のことでした。
運動会をやっていると、なぜかグラウンドの周囲にある崖の上から、毎年のようにカモシカが見物に来ていたり、
近くの山で熊が出たりすると、休み時間に山で遊んだり、校庭に出たりしないように、なんて言われたりもしました。
在校中は、ウサギやニワトリ、ハトなどが学校で飼育されていて、ずっと飼育委員をやっていた記憶があります。
しかし卒業後、やはり狐にやられたとかで、ニワトリやハトが全滅してしまった以降は、鳥小屋だけが残っている感じになっていました。

山から湧いてくるきれいな水の中には、サンショウウオなんかも生息していた記憶があります。


そう、山の上にある小学校です。
校門は、ずっと下のほう。校門からは、山の陰に隠れて、小学校は見えませんでした。
そんなに距離はありませんが、校門を入って、200m位坂を登る必要はありました。
(きちんと舗装された、結構立派な道路でしたが)
なので、一番学校に家が近い人でも、それだけ歩く必要はありました(^^;

その高低差の激しい学校の外周を、当時は毎日走る時間がありました(今は無くなったらしい)。

校門までの間にも、季節によっては木苺や、運が良ければアケビなんかも見つかったりして
帰り道に食べたりしたことも。帽子に木苺をたくさん摘んで、帽子の内側をぐちゃぐちゃにして帰ったり。

休み時間は、山で遊んでいました。
山遊びグループはごく限られていて、ほかの学年の人もほとんど来なかったので、独占状態でした。

崖のぼり、冬には崖からの落としあい(笑)、そこそこ危険なこともしていましたが、
どの位すれば本当に危ないのか、その辺の加減をきちんと体で学んだような気もします。

休み時間に体育館で遊んだ記憶は、本当に全くありません。
(逆に、体育館でしか遊んでない人もたくさんいたと思います)
雨の日は、教室でじゃれたり、将棋したりして過ごしてました。

冬には、リフトも何もない、ただの坂ですが、スキー場が学校にあって、体育の時間はそこでスキーをしていました。
雪がどっさり降ると、まずは踏み固めていくところからなので、なかなか大変なものだったように思います。
プールの水泳授業のように、検定とかもありました。

そうそう、水泳の授業はとても寒いのが嫌で、トイレに篭城してしばらく授業をサボっていたこともありました(A^^;
でも、小学生の45分って、とてつもなく長いよね。。。終わるころまで篭っていることもありました。
別に悪意があったわけじゃないんだけど、自分が思っている以上に嫌だったのかもしれない。。。


5〜6年の時の友達は、男女混じって6人くらいでつるんでいたんだけれど、本当に楽しかった。
今でもいい友達です。
また雪山で遊んでみたいなあ、と、今でも思ってしまうくらい。
何も余計なことを考えずに、幸せに過ごすことのできた貴重な期間だったように思います。

そうそう、2年前くらいまで、図工室に、私が一年のときに描いた絵が貼ったままになっていました。
別の目的の部屋になって、そのときに剥がされてしまったようなのですが、、、10年以上に渡って、
たくさんの小学生の図工の授業を見守ってきたのであろうその絵を、ぜひとも返してほしいなあと、
思っています。

そうそう、どの授業も嫌いではなかったけれど、理科と図工は特に好きでした。
6年のときの担任の先生が、どうも理系の出だったのか、例えば国語の時間にオゾン層の話が出てきたら、
酸素はO_2だけど、オゾンはO_3で、人工的に作り出すのも難しい、とか(不安定だ、とか
そんな話だったのかもしれない)何となく、理系に興味を持っていた当時の私の方向性が確立して
いったのもこの頃なのかも。
(もっとも、恐竜好きが高じて、当時は考古学者になるのが夢だーとか言ってましたが(汗))

当時としては字も小さくて、長大な、「ジュラシック・パーク」の原作を読んで、
章の扉に描いてあるフラクタル図形を見て、あるいは、複雑系だとか、カオスだとか、
遺伝子工学といった単語に、わくわくしているような小学生でしたw


・・・う〜む、いくらでも書いてしまいそうなので、今日のところはこの辺でやめます。
そんな、思い出深い小学校が閉校してしまうというのは、本当に、本当〜に、寂しいのです。。。